石川啄木

《一握の砂》 26選

1.東海(とうかい)の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

2.たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず

3.草に臥(ね)て おもふことなし わが額(ぬか)に糞して鳥は空に遊べり

4.やはらかに積れる雪に 熱(ほ)てる頬を埋むるごとき 恋してみたし

5.路傍(みちばた)に犬ながながと呻(あくび)しぬ われも真似しぬ うらやましさに

6.新しきインクのにほひ 栓抜けば 餓えたる腹に沁むがかなしも

7.はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る

8.友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ

9.興(きよう)来(きた)れば 友なみだ垂れ手を揮(ふ)りて 酔漢(よいどれ)のごとくなりて語りき

10.ふるさとの訛なつかし 停車場(ば)の人ごみの中に そを聴きにゆく

11.飴売のチャルメラ聴けば うしなひし おさなき心ひろへるごとし

12.石をもて追はるるごとく ふるさとを出(い)でしかなしみ 消ゆる時なし

13.青に透く かなしみの玉に枕して 松のひびきを夜もすがら聴く

14.長く長く忘れし友に 会ふごとき よろこびをもて水の音聴く

15.今夜こそ思ふ存分泣いてみむと 泊りし宿屋の 茶のぬるさかな

16.ごおと鳴る凩(こがらし)のあと 乾きたる雪舞ひ立ちて 林を包めり

17.寂莫(せきばく)を敵とし友とし 雪のなかに 長き一生を送る人もあり

18.死にたくはないかと言へば これ見よと 咽喉の痍(きず)を見せし女かな

19.葡萄色(えびいろ)の 古き手帳にのこりたる かの会合(あひびき)の時と処(ところ)かな

20.朝の湯の 湯槽(ゆぶね)のふちにうなじ載せ ゆるく息する物思ひかな

21.しめらへる煙草を吸へば おほよその わが思ふことも軽(かろ)くしめれり

22.あさ風が電車のなかに吹き入れし 柳のひと葉 手にとりて見る

23.ほそぼそと 其処(そこ)ら此処(ここ)らに虫の鳴く 昼の野に来て読む手紙かな

24.夜おそく つとめ先よりかへり来て 今死にしてふ児を抱けるかな

25.おそ秋の空気を 三尺四方(さんじやくしほう)ばかり 吸ひてわが児の死にゆきしかな

26.かなしくも 夜明くるまでは残りいぬ 息きれし児の肌のぬくもり

《悲しき玩具》 40選

1.呼吸(いき)すれば、 胸の中(うち)にて鳴る音あり。 凩(こがらし)よりもさびしきその音!

2.途中にてふと気が変り、 つとめ先を休みて、今日も、 河岸をさまよへり。

3.本を買ひたし、本を買ひたしと、 あてつけのつもりではなけれど 妻に言ひてみる。

4.家を出て五町ばかりは、 用のある人のごとくに 歩いてみたれど――

5.何となく、 今朝は少しく、わが心明るきごとし。 手の爪を切る。

6.途中にて乗換の電車なくなりしに、 泣かうかと思ひき。 雨も降りていき。

7.しっとりと 酒のかをりにひたりたる 脳の重みを感じて帰る。

8.新しき明日の来(きた)るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど――

9.朝寝して新聞読む間なかりしを 負債のごとく 今日も感ずる。

10.よごれたる手を洗ひし時の かすかなる満足が 今日の満足なりき。

11.何となく、 今年はよい事あるごとし。 元日の朝、晴れて風無し。

12.いつの年も、 似たよな歌を二つ三つ 年賀の文(ふみ)に書いてよこす友。

13.何となく明日はよき事あるごとく 思ふ心を 叱りて眠る。

14.すっぽりと蒲団をかぶり、 足をちぢめ、 舌を出してみぬ、誰にともなしに。

15.百姓の多くは酒をやめしといふ。 もっと困らば、 何をやめるらむ。

16.あやまちて茶碗をこはし、 物をこはす気持のよさを、 今朝も思へる。

17.古新聞! おやここにおれの歌の事を賞めて書いてあり、 二三行なれど。

18.笑ふにも笑はれざりき―― 長いこと捜したナイフの 手の中(うち)にありしに。

19.この四五年、 空を仰ぐといふことが一度もなかりき。 かうもなるものか?

20.そうれみろ、 あの人も子をこしらへたと、 何か気の済む心地にて寝る。

21.『石川はふびんな奴だ。』ときにかう自分で言ひて、かなしみてみる。

22.真夜中にふと目がさめて、 わけもなく泣きたくなりて、 蒲団をかぶれる。

23.話しかけて返事のなきに よく見れば、 泣いていたりき、隣の患者。

24.ぼんやりとした悲しみが、 夜(よ)となれば、 寝台(ねだい)の上にそっと来て乗る。

25.看護婦の徹夜するまで、 わが病ひ、 わるくなれとも、ひそかに願へる。

26.もう嘘をいはじと思ひき―― それは今朝―― 今また一つ嘘をいへるかな。

27.何となく、 自分を嘘のかたまりの如く思ひて、 目をばつぶれる。

28.薬のむことを忘るるを、 それとなく、 たのしみに思ふ長病(ながやまひ)かな。

29.ボロオヂンといふ露西亜名(ロシアな)が、 何故ともなく、幾度も思ひ出さるる日なり。

30.まくら辺に子を坐らせて、 まじまじとその顔を見れば、 逃げてゆきしかな。

31.時として、 あらん限りの声を出し、 唱歌をうたふ子をほめてみる。

32.何思ひけむ―― 玩具をすてておとなしく、 わが側に来て子の坐りたる。

33.或る市(まち)にいし頃の事として、 友の語る 恋がたりに嘘の交るかなしさ。

34.ひさしぶりに、 ふと声を出して笑ひてみぬ―― 蝿の両手を揉むが可笑しさに。

35.五歳になる子に、 何故ともなく、ソニヤといふ露西亜名(な)をつけて、 呼びてはよろこぶ。

36.ある日、ふと、やまひを忘れ、 牛の啼(な)く真似をしてみぬ―― 妻子(つまこ)の留守に。

37.かなしきは我が父! 今日も新聞を読みあきて、 庭に小蟻と遊べり。

38.児を叱れば、 泣いて、寝入りぬ。 口すこしあけし寝顔にさはりてみるかな。

39.ひる寝せし児の枕辺に 人形を買ひ来てかざり、 ひとり楽しむ。

40.庭のそとを白き犬ゆけり。 ふりむきて、 犬を飼はむと妻にはかれる。